大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡地方裁判所 昭和31年(わ)151号 判決

主文

被告人甲野一郎(仮名以下同じ)を懲役三年に、被告人乙野二郎(仮名以下同じ)を懲役二年に、被告人丙野三郎(仮名以下同じ)、同丁野四郎(仮名以下同じ)を各懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中、被告人甲野一郎につき一二〇日、被告人乙野二郎につき一〇〇日を右各本刑にそれぞれ算入する。

被告人丙野三郎、同丁野四郎に対し、この裁判の確定した日から三年間それぞれ右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人Dに支給した分は被告人甲野一郎の負担とし、証人A子、同B同Cに支給した分はいずれも被告人丁野四郎の負担とする。

一、事実

被告人等は、いずれも岩手山々麓の岩手県岩手郡西根村に育ち、農業或は土方、製綿工などをしているいわゆる山村の青年であつて、同村内でしばしば催される盆踊りを数少い楽しみの一つとしているものであるが、たまたま昭和三一年九月一六日夜、同村大字田頭字中村第一一地割八七番地の通常「中田」と呼ばれる遠藤利左衛門方の前庭で行われた田頭部落の盆踊りにもまたそれぞれ集つて来て或は自ら盆踊りをなし、或はこれを観覧していた。しかるところ、

第一、被告人甲野一郎は、同日午後一〇時三〇分頃右中田前の路上で盆踊りを見物していたA子(当一八才)が若い男二人に左右の手をつかまれ、無理矢理その場から連れ去られようとしているのを目撃するや、同人等がA子を強いて姦淫するため連れ去ろうとしているものと察知し、右の若い男達の傍らに近ずいたところ、同人等は被告人の姿に気づきA子を残してその場から立去つた。同被告人は、路上に一人残されたA子の姿を見ているうち俄かに劣情をもよおし、同女を強姦しようと決意し、矢庭に同女をその背後から抱きかかえ、同女がもがいて逃げようとするのを後から押すようにして、同所から北方の松尾村字寄木部落に通ずる村道を約一二〇米ほど連行し、更に厭がる同女を右村道から西側の既に刈取られた稗が束ねられて処々に点在する前記西根村大字田頭第十三地割百三十二番地の稗畑の中に連れ込み、畑のほぼ中央にある稗束の側に同女を一度立たせたうえその前肩附近を押して稗束の上に仰向けに押し倒した。折からこのでき事を聞き込み同じく盆踊りに来ていたEや被告人乙野二郎等が馳せつけその場の様子を見ていたので、同人等に対し、「押えてろや」と声を掛けて助力を求め、同人等をして危難を避けようとして抵抗しているA子の手足を押えつけさせてその抵抗を抑圧したうえ、同女のズボン、ズロース等を脱がせてその上に乗りかかり強いて姦淫した、

第二、被告人乙野二郎は、

(一)  前記盆踊りに参加していたところ、若い女が若者に連れ去られたという噂を聞くや、その若者が婦女を強いて姦淫しようとしているに違いあるまいと考え、前記稗畑に馳せつけたところ、当時被告人甲野は連行したA子を稗束の側に立せていたが、間もなく同被告人が同女を稗束の上に仰向けに押し倒し、側に来た被告人乙野や、E等に対して、「押えてろや」と声を掛けて助勢を求めたので、既に被告人甲野の行動から同被告人がまさにA子を姦淫しようとしていることを熟知しながら、その意を受け両手をもつて、右甲野に乗りかかられて危難を避けようとして抵抗を続けている同女の左大腿部及び左膝の下部付近を押え、被告人甲野の前示第一犯行を容易ならしめ、もつてこれを幇助した、

(二)  被告人甲野が被告人乙野の右幇助行為によりA子を姦淫し始めるとともに被告人乙野は同女の左大腿部等を押えていた手を離し、その側に立つて被告人甲野等の行動を眺めていたが、眼前の情景に刺戟されて次第に情欲がつのり、右被告人が姦淫行為を終えて立去つた際、遂にその情欲を制し兼ねて同女を自己においても姦淫しようと考えるにいたり、被告人甲野の犯行により既に抵抗する気力も失い、下半身を裸体とされたまま稗束の上に仰向けに寝ている同女の上に乗りかかり、指を陰部に入れたりしてこれを弄んだうえ姦淫しようとしたが、酩酊していて陰茎が勃起しなかつたため、その目的を遂げなかつた。

第三、被告人丙野は、前記盆踊りを見物していたところ、若い女が若者に連れて行かたれという話を聞き、面白半分に前記稗畑に馳せつけたところ、被告人乙野がA子の上に乗りかかり、数名の者がその側でこれを見物しているのを目撃するや、余りひどいことをするなといつて、それらの者達をその場から追払つたのであるが、すでに被告人甲野及び同乙野によつて引続き姦淫されたため、同人等が立去つた後も起き上る気力を失い、下半身裸体となつたまま稗束の上に仰向けに寝ている同女の姿を見ているうち、俄かに劣情を催し、同女が既に抵抗力を失つているのに乗じ、右のごとき状態のままで稗束の上に寝ている同女の上に乗りかかり陰部に指を入れたりなどしてこれを弄んだうえ姦淫しようとしたが、酩酊していて陰茎が勃起しなかつたためその目的を遂げなかつた。

第四、被告人丁野は、前記盆踊りのあつた日の昼間にA子方の畜舎の屋根葺きに雇われて同女方で働いたが、その際同女を見知つていたところから、被告人甲野に連れ去られた同女を助けようと考え、右稗畑に至り、被告人丙野が前記犯行を終えたのち、同女を背負つて畑から連れ出し、更に自己の自転車に乗せて、前記村道を松尾村の同女の自宅へ向けて送つて行くうち、右稗畑から一、一〇〇米進んだ際、なおもA子を姦淫しようと後を追つて来る若者等の気配が感じられたので、これを避けるため同女とともにいつたん路傍の稗畑に隠れたのであるが、その場にしやがみこんで語り合つているうち、今まで目のあたりに見て来た被告人甲野、同乙野、同丙野等の行動によつて刺戟された劣情が次第につのつて来て遂にこれを制し兼ね、同女の腰に両手を廻して抱きつき側の稗束の上に仰向けに押し倒した上、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女に抵抗されているうちに射精してしまつたためその目的を遂げなかつた、

ものである。

二、証拠≪省略≫

三、刑法二〇七条の適用範囲に関する検察官の主張について

本件の主位的訴因は強姦致傷であつて、公訴事実によれば、被告人等の犯行に際し、被害者A子は「全治約三週間を要する左第六肋骨頸部亀裂ならびに全治一週間を要する外陰部裂創の傷害を負つたのであつて、右頸部亀裂は被告人甲野の前記第一(註、判示第一)記載の暴行に因るか又は被告人丁野の前記第三(註、判示第四)記載の暴行に因るか不明であり、且つ右外陰部裂創は被告人乙野の前記第一(註、判示第二の(二))記載の指を同女の陰部に入れた暴行に因るものか又は被告人丙野の前記第二(註、判示第三)記載の同様の暴行に因るものか不明である。」というのである。しかして、検察官は強姦致傷罪にも刑法二〇七条の適用ありとし、被告人等の所為を強姦致傷罪に問ぎし、罰条として刑法一八一条、二〇七条を掲げ、かつ論告においてこの点に関し別紙記載のとおりその見解を述べている。

なるほど、前掲各証拠のほか、医師白井善之助作成の診断書および同人の検察官に対する供述調書によれば、被告人等の相継ぐ本件犯行により、被害者A子が検察官主張のごとき傷害を受けたことは認められ、かつ本件のすべての証拠を精査しても、右各傷害が検察官指摘の被告人等のうち何人の犯行により生じたものであるかが不明であることは所論のとおりである。しかし刑法二〇七条が強姦の機会に発生した結果についても適用されるか否かの点、すなわち本条の適用範囲についての解釈にあたつては、所論のように、単に法文の文理乃至立証の困難を救済するための必要性という狭い観点からの議論に終始しては、とうてい正当な結論を得らるべきではない。近代刑法における個人責任主義の原則に対し、著しい例外の観を呈するこのような規定については、更に進んでその沿革を顧み、なおその立法の趣旨や規定の本質などをも探求してこれを解明しなければならない。

(一)、西欧における沿革について

リストは、現行ドイツ刑法二二七条に規定する「多数人の争闘Raufhandel」の沿革について、その著『ドイツ刑法論』の中で次のように述べている。

「多数人の争闘における傷害と傷害致死は、法律上これを判断するについて、二重の関係で特に困難な問題を提供する。その一は、多くの場合において、関係人のうち何人が、死または身体傷害の結果を惹起したかを、幾分でも確実さをもつて定めることは不可能であるということであり、その二は、発生した結果が、数人の傷害行為の共同作用によつてのみ生じたという場合が起りうるということである。

ドイツの諸法と同様、中世後期のイタリア法学も、しばしばこの困難な問題の解決に没頭した。これについて、ローマ法(デイゲスタ法典九巻二章)は矛盾した解決をし、強いぎ制を設ける域を脱することができなかつた。カール五世の刑事裁判所法もこの種の擬制をもつて満足し、一四八条において次のように規定した。『被害者が一人以上の者により危険な方法で殺害され……、かつそのうち何人の行為によつて死亡したかを証明することができないときは、上記の傷害を加えた者は、総て故殺者として死刑に処する』。普通法時代のドイツ各邦の立法は適切な規定を設けようと努めたが(例えばザクセン憲法四巻七章参照)、前者以上には出でなかつた。プロシア普通法典八四四条も旧態依然として、人を殺すことのできる武器を最初に使用した者を故殺者とみなすと規定した。

現今の立法は、ブラウンシユヴアイヒ法典およびプロシア法典以来、恣意的な仮定は一切避け、責任に応じて刑を量ることに努めている。しかしこの努力によつては、一部分だけ成果を収めているにすぎないドイツ刑法二二七条もまた同様である。同条は、本質的に異る二個の場合を包含し、第一の場合には警察犯を軽罪として取り扱い、第二の場合には全く不当な規定の仕方をしている。草案は、第二の場合を正当にも削除した。」(List-Schmidt,Lehrbuchdes Deutschen Strafrecht,25.aufl.,1927 S.488)

ガローの主著『フランス刑法概論』には、いわゆる同時犯に関し次のように記述されている。

「一五三二年カール五世の制定したドイツ帝国の刑事法規――カロリン法の名称で識られている――には、喧嘩、騒擾または争闘における殺人に関し、特別の規定(訳註、前掲刑事裁判所法一四八条を指す)があるが、この規定の原理はローマ法に由来する。一八一三年のバウアリア法典以来、一八五二年のオーストリア法典、一八七一年のドイツ刑法典に至るまで、ドイツ系の法典は総てこの規定を模範とし、喧嘩において行使され、その結果争闘者の一方の死または重傷を惹起した暴行に関し、特別の規定を設けている。一八八一年のオランダ刑法典(三〇六条)、一八八九年のイタリア刑法典(三七八条および三七九条、訳註一九三一年の改正以前の法典である)および一八七八年のハンガリア法典も類似の系統を追うている。しかしフランス刑法典には、この点に関し、何等の特別規定もない。その結果、一方においては喧嘩に参加した行為も、喧嘩を決意させた行為も特別の犯罪とはみなされないし、また他方においては、上記のような結果を鎮圧するために、一般の規定に頼らなければならないのである。それ故、喧嘩に参加した者の責任に関する法則は、二つの想定のもとに探求されなければならない。すなわち(a)傷害または殺人の犯人を正確に知ることができる場合と、(b)その犯人を的確に決定し得ない場合と、以上二つに分けて考える必要がある。

(a)  省略

(b)  殺人、殴打、傷害の、一人または数人の行為者を知ることができないときは、喧嘩に参加した各人に対して、殺意をもつてしたにせよ、或はまた単なる傷害の意思をもつてしたにせよ、故意にかつ実質的に殺人、殴打、傷害に参加した事実を確定しなければならない。

しかし、自然にかつ急激に発生した場面において、個人の責任を判別することはしばしば困難であり、そのため、この証明の困難ということが、鎮圧に対する重大な障害となり、事案は無罪に帰しうることとなるのである。そのような結果を回避するため、古代ならびに近代の立法は、次の三つの体系のうちいずれか一つにその解決を求めた。(1)結果について、個人責任または連帯責任を負わせる体系。すなわち、人の死または傷害を惹起した喧嘩に参加した各人は、煽動の理由で減刑されないかぎり、この結果について知られていない行為者とみなされる。(2)相互に共犯関係にあるものとみなす体系(原註、イタリア刑法典三七八条、スペイン刑法典四三五条、訳註、上記イタリア刑法典は一九三一年の改正前の法典である)。(3)喧嘩に参加する行為を特別の犯罪とみなして非難する体系(原註、大部分の外国の立法は、喧嘩に参加する行為を特別の犯罪として非難する)。(下略)」(R.Garraud,Traite theorique et prati-que du droit pnal Francais,1953 tome cinquime P.365-367)

右両著に引用された西欧各国の規定のうち、二、三を拾いその条文を左に掲げる。ドイツ刑法二二七条

(1) なぐり合いにより、又は数人によつて為された攻撃によつて、人の死亡又は重い傷害がひきおこされるときは、なぐり合い又は攻撃に参加した者はすべて、当人に責任なくして渦中に引き入れられたのでない以上は、すでにこの参加のかどだけで、三年以下の軽懲役をもつて罰せられる。

(2) 前項に掲げた諸結果の一つが数個の傷害行為に帰せしめられ、かつ各行為が各別にではなく相競合してのみひきおこしたものであるときは、これらの傷害行為の一つにつき責任ある者はすべて、五年以下の重懲役をもつて罰する。

スイス刑法一三三条(争闘関与Beteili-gung an einem Raufhandel)関与者の死亡又は傷害の結果を来した争闘に関与した者は、単に防衛を為すだけか、又は争闘者を引き分けるだけに止まらないかぎり、この関与のかどをもつて軽懲役又は罰金に処する。

イタリア刑法(訳註一九三一年の改正刑法)五八八条

およそ格闘に加わる者は三、〇〇〇リーレまでの罰金をもつて罰せられる。

格闘において、もし死者を出し又は身体傷害を来すときは、単に格闘に加入する所為のみにより、その刑を三月乃至五年の懲役とする。もし殺害又は身体傷害が、格闘の直後かつ格闘の帰結として発生するときは、同じ刑を適用する。

(二)、西欧における立法の理由について

数人が相対立して、意思の連絡なく争闘に関与し、その機会に当事者の一方に死または傷害の結果が発生し、しかも何人の行為によつてその結果が発生したかを知ることができず、または結果に対する行為の競合が認められても、惹起した結果の軽重を知ることができないという事態を、ドイツ語系の諸国は、ラウフハンデル(Raufhan-del)という術語で表示する。この語は適訳がないため、普通「多数闘争」または「多数人の闘争」と邦訳されているが(註、牧野英一・刑法各論下巻三九三頁、安平政吉・改正刑法各論七二頁)、ここに多数とは、ドイツ語のmehrereに当り、本来は二、三より多く、しかし余り多くない数を指すけれども、ラウフハンデルにおいては、事の性質上、一対二以上の複数の当事者の対立を必要とする。また争闘とは、いわゆる喧嘩沙汰であつて、「なぐり合い」と「数人によつて為された攻撃」を包含し、前者は、対立者間において腕力沙汰に悪化した喧嘩、すなわち腕力による身体侵害の交錯を意味し、後者は、数人によつて、行為、意思および対象において一致して為された腕力的攻撃を意味する。これに参加したというためには、ラウフハンデルのあつた時に、その場所に現在し、心理的にせよ(煽動その他の方法によつて。わが刑法では、この場合は二〇六条の現場助勢に当る)、物理的にせよ、これに協力したこと、換言すれば、二人以上の行為が時間的および場所的に相競合したことを要する。行為者は上記のような争闘に、攻撃的にまたは積極的防衛のために参加したものでなければならない(List,a.a.O.S.488;Rein-hart Maurach Deutsches Strafrecht Bes.Teil 2.aufl.,1956 S.89)。もつとも、二人以上の行為が時間的および場所的に競合するとは、必ずしも行為が時および所において重なり合うことを要件とするものではないが、少くとも近接関係になければならないものとされている(牧野・前掲三三七頁)。

このような事態が発生した場合、刑事法の一般理論によれば、各人が自己の行為から生じた結果についてだけ責任を負うことになるが、発生した結果に対する因果関係の証明が得られないときは、訴訟法的には、結果に対する未遂、すなわち単なる暴行の限度で責任を負うこととせざるを得ない。かような不都合な解決を避けるためには如何にすべきかということは、古来立法者の腐心したところであつて、その対策としての立法は、前掲ガローの所説のように、三種の系列に分類される。ガローの分類中の第一種および第二種の規定の性質について、通説はこれを刑事責任の推定を定めた実体法規と解しているが、挙証責任の転換を定めた訴訟法規であると解する説もある。前者の見地からすれば、この規定は、古代刑法の連座規定と類似の作用を持つ時代錯誤的なものであるという非難を免れないし、後者の見地からすれば、「疑わしきは被告人の利益に従う」とする刑事法の原則に反するという攻撃を避けることができない。第三種の規定の形式は、大部分の西欧諸国刑法のとるところであつて、争闘に参加したこと自体を抽象的危険犯として構成し、人の死亡または傷害の結果の発生は単なる処罰条件として取り扱うものである(Maurach,a.a.O.S.89)。この立法の形式は、理論的には一応前二者に向けられるような非難は避け得られるし、構成要件の形態を危険犯としたことに照応して、法定刑を緩和し、原則として軽懲役を科し、軽罪として処遇しているという長所もみられるので、立法技術上は一段と進歩したものであることは疑がない。しかしこれとて、実践的には客観的に無罪である者に対し、発生した結果につき他の者と共同責任を負わせるという危険を内蔵し、その実質においては、依然として近代刑法の個人責任主義の原則に背馳するというそしりを避けることができない。

このような非難にさらされながらも、今なおいわゆるラウフハンデルに関する特別規定が文化諸国家の刑法典のうちに命脈を保つている所以のものは何か。思うに数人間の争闘において、人の死亡や傷害(殊に重傷)の結果が発生したに拘らず、その行為者を知ることができず、または惹起した結果の軽重を知ることができないときは、各人に対し、単に暴行の責任を問い得るのみとなり、発生した結果を考慮するとき、あまりに刑の権衡を失することになる。しかもこのような事態は、われわれの社会生活において、日常しばしば経験するところである。その処遇を刑事法の一般理論に委せて放置することは、発生する結果に対するかぎり、ほとんど刑罰による鎮圧を放棄することを意味する。それゆえに、古来立法者は、この種の類型の犯罪の頻度に着目し、立証の困難を救済し、人の死亡や傷害という結果に対する一般予防の効果を全うするため、異例の規定を設けたものにほかならない。換言すれば、この類型の事犯に関するかぎり、刑事政策上の要請が、今なお異例の措置として、刑法理論に譲歩を強いているのである。

立法の趣旨がそうであるとすれば、もとよりこのような特別規定は、強姦致死傷や強盗致死傷など、死傷の結果を伴う他の結果的加重犯にまでむやみに拡充すべきではない。これ等のいわゆる同時犯は生起の度合いも少いばかりでなく、基本的犯罪の刑罰と結果的加重犯の刑罰との開きも左程ではないから、一般刑事法の建前に従つて事に処しても、治安維持の面ではそれほどの支障をもたらすものではないからである。各国の立法が、喧嘩沙汰における傷害致死および傷害についてのみいわゆる同時犯の規定を有し、他の致死傷犯について触れるところのないのはこの故である。

(三)、わが刑法二〇七条について

明清律を継受した明治初年の新律綱領、改定律令にはいわゆる同時犯に関する特別の規定は見当らない。明治一三年に布告された旧刑法において初めてわが国に登場している。すなわち同法三〇五条は、「二人以上共ニ人ヲ殴打創傷シタル者ハ現ニ手ヲ下シ傷ヲ成スノ軽重ニ従ツテ各自ニ其刑ヲ科ス若シ共殴シテ傷ヲ成スノ軽重ヲ知ルコト能ハサルトキハ其重傷ノ刑ニ照シ一等ヲ減ズ……」と規定している。このうち後段の傍線を引いた部分がそれである。明治四〇年第二三回帝国議会に提出された「刑法改正に関する政府提出案理由書」によると、この規定のうち同時犯に関する部分は、修正を加えられて現行刑法二〇七条に引き継がれたものであることが明らかである。前掲旧刑法三〇五条の前段は、右理由書によれば、行為者間に意思の連絡のある場合と然らざる場合とを含むものと解されるが、これは明らかにフランスの刑法理論を模倣したものであることは疑を容れない(Garraud,op.cit.p.366)。しかし後段のような特別の規定は、前述のように同国の刑法典にはないのであるから、この部分は他の西欧立法例を踏襲したものとみるべきであり、体系的位置を求めれば、前掲ガローの分類中第二種の系列に属するものと認められるのである。

このように、西欧立法の流れを汲むものと認められる以上は、わが刑法二〇七条もまた、前者の立法の精神を受け継ぎ、ドイツ刑法二二七条が明確にした観念に従えば、「なぐり合いにより、又は数人によつて為された攻撃により」、すなわち、格闘または身体侵害の意思をもつて多数者によつてなされた腕力的攻撃によつて、死傷の結果が発生した場合にかぎり(致死の結果をも含むことにつき同旨、最高裁判所第一小法廷昭和二六年九月二〇日判決)、適用されるべき規定であると解さなければならない。わが国の学説で、本件の論題に正面から触れたものは甚だ少ない。検事伊藤三秋氏は、かつて強姦致傷罪に刑法二〇七条を適用した当盛岡地方裁判所の判決を批判して、「数人が共謀せず、同一機会に一婦女に暴行脅迫を加えもつていずれも姦淫を遂げ、かつ淋毒を感染致傷し、しかも数人のうち何人の行為によりてかかる病毒を感染せしめたるや不明なる場合においては、刑法第二〇七条を適用すべきにあらざるものとす」と結論し、その理由の一つとして、二〇七条の規定は刑事責任上の「特例」であつて、いわば「法律の擬制」である。これを広く他の犯罪に適用することは、刑事責任の大原則をみだるものであるという趣旨のことを述べている(大正一一年八月二三日法律新聞二、〇一七号所収)。判事伊達秋雄氏は、次のような事案に対する最高裁判所昭和二四年七月一二日第三小法廷判決(刑事判例集三巻八号一、二三七頁)に対する判例批判のうちで、傍論としてこの問題に論及している。事案は、被告人五名が一婦人の強姦を共謀し、うち四名が強姦を遂げ、これにより同女は処女膜裂傷の傷害を被つたというのであるが、弁護人から主張された、次のような上告論旨、すなわち、判示致傷が被告人のうち一人の行為によつて生じたものであれば、他の被告人等は単なる強姦罪であり、告訴の取下げがあつたから公訴棄却すべきである。更に証拠上何人の所為による傷害か不明であるから全被告人につき公訴棄却すべきであるという上告論旨に対し、最高裁判所は、負傷はどの被告人の行為によつて生じたか不明であるが、仮りに一人の行為によつて生じたものとしても、被告人等は同女を強姦しようと共謀して判示犯行を遂げたものであり、そして強姦致傷罪は結果的加重犯であるから、共謀者全員が強姦致傷罪の共同正犯として責を負わなければならないと判示した。伊達判事はこの判決を批評して次のように述べている。「上告論旨は結局本件に於ける被告人等の強姦行為は原判決の認定したように一個の犯罪事実ではなく夫々独立した数個の犯罪事実を構成するものであるという前提に立つて」論議しているのであるから、「これに対する裁判所の判断としては、先ず正面から被告人等の強姦行為の個数を論ずべきであ」つた。「若し本件が連続犯であるとすれば」、「判示傷害が何人の行為によるものか不明であ」るかぎり、「被告人等を強姦致傷罪に問い得ないこととなる」。「私は一人が同一機会において同一人を相次いで数回姦淫した場合には一罪として差支ないが、共犯者数人が同一機会に同人を姦淫する場合は一個の犯罪事実でなく数個の犯罪事実であると考える」。「本判決は上告論旨に対する判示としては何れであるか明言を避けているが、自判した部分の法律適用を見ると明らかに一個の犯罪事実として取扱つているし、その他の同様の事案の取扱もこれと一致しているようである。私の推測に依れば、これは理論に従つてというよりも、むしろ、若しこれを数個の犯罪事実と見るときは殆んどすべての場合、傷害を与えた者の立証が困難、不能のために、みすみす加害者を強姦致傷罪として処罰し得なくなるという結果をおそれたことによるものではなかろうか。裁判の実践的本能に基く結果妥当論が理論を超えて貫かれる一つの場合ともみられ得よう。しかし、それは罪刑法定主義を採る限り特別の立法(たとえば刑法二〇七条のような)による解決にまつのが正しいことはいうまでもないことである」(刑事判例評釈集昭和二四年度三〇三頁)。以上両氏の所論は、いずれも本件の問題については、その結論において当裁判所と見解を同じくするものである。その他にはさしあたり本問題に言及した学説は見当らないが、諸家いずれも自明のこととして、本判決のような啓蒙的な説示の労をとらないものと思われる。

しかるに検察官は、刑法二〇七条は、文理上から見て単純傷害についてだけ適用すべきものと限定されていない。法文には「人を傷害し」とあつて、強姦致傷はもとより、強盗致傷その他遺棄、逮捕、監禁等に伴う致傷、すなわち傷害プラス他の法益侵害の発生した場合にあまねく適用されるべきである旨主張する。しかし所論のように、わが刑法の立法形式に従つて事を論ずる道を選んでみても、二〇七条の体系的位置を観察すると、同条は傷害の罪の章下に規定されているのである。同章に掲げる傷害、傷害致死および暴行等の犯罪は、すべて人の身体そのものを保護法益とする侵害犯である。しかるに、所論各犯罪はこれと全く罪質を異にし、強姦罪は主として個人の性的自由ないし貞操を、逮捕・監禁罪は人の身体行動の自由を、強盗罪は私有財産権をそれぞれ保護法益とする侵害犯であり、また遺棄罪は人の生命・身体を保護法益とする危険犯であつて、これ等の罪が死傷の結果を随伴したとしても、もとよりそれによつて犯罪の本質に変動を来すものではない。傷害の章下に規定された二〇七条を目して、単純傷害のみならず、これと罪質を異にする所論のような犯罪を包摂し、傷害の結果を伴う結果的加重犯一般について、その通則を定めたものであると解することは、特にその旨の明文があれば格別、明文がない以上は、罪刑法定主義の原則に反し許されないところであるといわなければならない。

検察官はまた、二〇七条の立法理由は、立証の困難を救済しようとする趣旨に出でたものであり、この必要性は、人の身体に対する単純暴行に基づき傷害の結果を生じた場合も、他の法益侵害が傷害の結果を併発した場合も同一であるから、同条は傷害の結果を惹起した結果的加重犯一般に適用すべきである旨主張する。この論旨は必ずしも明確ではないが、第一に、もし所論が右のような刑事政策的必要性が同一であるから、二〇七条は立法者が傷害の結果を伴うすべての結果的加重犯について通則を定めたものと解すべきであるという趣旨であれば、刑事政策の看点からしてもそのように解すべきでないことは、上来詳論したとおりである。第二に、もし所論が二〇七条について本来は単純暴行が死傷の結果を招いた場合を対象とする特例であることを肯定しながら、所論強姦致傷等の結果的加重犯において傷害を生ぜしめた者を知ることができないという事態を生じたときは、立証の困難を救済しなければならないという刑事司法の実践的必要性は同一であるから、二〇七条の法意はこの場合にも適用されるべきであるという趣旨であれば、それはまさに刑罰法規の類推適用を意味する。罪刑法定主義を堅持するかぎり、かような見解は顧みる余地がないことはいうまでもない。

(四)、むすび

上述のとおりであつて、検察官の主張は理由がないから、本件については主位的訴因を容認し、被告人等を強姦致傷罪に問ぎすることは許されない。

四、適条

法律に照らすと、被告人甲野一郎の判示所為は刑法第一七七条前段に該当し、被告人乙野二郎の判示所為中、第二の(一)の点は同法第一七七条前段、第六二条第一項に該当するので同法第六三条、第六八条第三号に従い法律上の減軽をし、第二の(二)の点は同法第一七八条後段、第一七七条前段、第一七九条に該当するので、同法第四三条本文、第六八条第三号に従い未遂減軽をし、右二罪は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により犯情の重い判示第二の(二)の準強姦未遂罪の刑に法定の加重をし、被告人丙野三郎の判示所為は、同法第一七八条後段、第一七七条前段、第一七九条に、被告人丁野四郎の判示所為は、同法第一七七条前段、第一七九条に該当するので、これら両被告人の罪につき、いずれも同法第四三条本文、第六八条第三号を適用して未遂減軽をし、以上の各刑期の範囲内で、被告人甲野一郎を懲役三年に、被告人乙野二郎を懲役二年に、被告人丙野三郎並びに同丁野四郎を各懲役一年六月に処し、同法第二一条に従つて未決勾留日数中、被告人甲野一郎につき一二〇日を、被告人乙野二郎につき一〇〇日を右各本刑に算入し、被告人丙野三郎並びに同丁野四郎に対しては、同法第二五条第一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して、証人Dに支給した分は被告人甲野一郎に、証人A子、B、Cに支給した分はいずれも被告人丁野四郎に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野寺文平 裁判官 岡垣学 野口喜蔵)

理由

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例